ガンは5年間再発がないと
完治ということになるらしい。
ということは
うちの父も完治したことになる。
やっとホッとできる。涙が出る。
父が病院の検査に行くたび
気持ちが重かった。
父は快活でさっぱりしている。
口は時々よくないけど
友達も多くて
元気な人。
5年前
そんな元気な父が
まさか倒れるなんて
思いもしなかった。
振り返ると嫌なことばかりだった気がする。
わたしも体をこわした。
高校、
新しい環境にも、友達にも馴染めずにいた。
お弁当の時間
クラスの女子全員で
みんなで机を寄せて輪になって食べる。
意味がわからなかった。
だから
昼休み、図書館に一人でいったら
「あー!いた!お昼食べないの?
みんなまっこのこと待ってるんだよ?!」
と、友達が連れ戻しにきた。
みんな本当に待っていた。
それから
女子全員で「いただきます」をした。
申し訳なかったな。。
和を乱してはいけないんだな。
と思いながらも
なんだか気持ち悪いな、、と思った。
それからも周りの話に
ついていけなかった。
病室で
父が
「学校ではどう?」
ときく。
頑張ってるよ!
学校たのしいよ!
わたし、こんなに友達がいるんだよ!
って、
写真をいっぱいみせる。
「この子はねこんな子なんだよ」
「今この子と一番仲いい」
みたいな説明をした。
必死だった。
正直
グループにも馴染めずに
疎外感を感じてはいたものの
本当に
みんなと仲良くしたかったし、
人に認められたかった。
頑張れば認めてもらえるんじゃないかと思った。
だから周りがみえなかった。
私が
文化祭や他の行事で張り切ろうとすればするほど
浮いた。
気がつくと周りにだれもいなかった。
人と話ができなくなった。
声が出なかった。
そのうち学校にも行けなくなって
家に担任から電話があった。
学校に行ってないことを母に知られた。
父の体が痛々しくなってきた。
父に会えなくなっていた。
つぶれそうだった。
父はわたしがお見舞いに行くと
いつも
玄関まで送ってくれた。
点滴ひきずりながら
わたしがふりかえっても
ずっと見送ってくれてた。
辛かった。
母も
わたし以上に参ってた。
父の病気、わたしの不登校、
申し訳なかった。
わたしは
しばらく
いとこのおばさんの所に行っていた。
なんとか学校に行ったものの
早退ばっかりで、
そんないいかげんで
不登校なんて認めない母と
関係もピリピリしていた。
母の元から逃げて
おばさんに助けをもとめてた。
5年前の今頃
わたしの
3人しかいない家族は
ばらばらだった。
これは
忘れたい過去ではある
父にとっても
母にとっても同じだと思う。
でも
嫌なことの中にも
人のやさしさとか
励ましてくれた人の、思いでが
キラキラしている。
鮮やかなんだと思う。
私は
声が一時期
出なかったから
その間
メールをいっぱいしたけど
その時
もらったメールは保存してある。
携帯は物置にあって見直さないけど
見なくても覚えてる。
あの時励ましてくれた人達に
会いたくてたまらない。
もう一度
ありがとうっていいたい。
今
家族3人一緒にいる。
幸せだ。