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広島 呉・江田島旅行記(海軍墓地・アレイすこじま、大和に関する場所)




こっちの続きです☆


江田島からもどってきたわたしは
旧海軍墓地(長迫公園)へ向かいました。


DSC_0288.jpg



DSC_0279.jpg



行く前は
ちょっと小雨っぽいし
午後4時半くらいだから暗くなってきたし
なんというか、、雰囲気満点な感じだったら
手を合わせるだけ合わしたら帰ろう。。

と思ってたのですが
ひとつひとつの碑をじっとみてしまいました。

DSC_0285.jpg


あ、
綾波だ。。



DSC_0290.jpg



大和はどこだ?と思ったら
かなりわかりやすいところにありました。



ここは
映画「男たちの大和/YAMATO」のエンディングで
鈴木京香さんが
お参りにくるシーンで使われてました。

ぐるっとまわって
手を合わせて


帰りのバスを待っていたんですが
ホテルのある通りに出るのに
ここのバスでいいのかわからずおろおろしてたら

おばあさんというかおばさん(きれいな方で若く見える)が
後から来たので

「本通3丁目って、
次のバスが通るかわかりますか?」

と聞いたら

「わたしは次のバスは使ったことがないんよ
○分に来るバスなら通りますよ
こっちに一緒に乗りましょう」

とおっしゃってくれて
一緒に待っていました。

「呉の人じゃないね」といわれて

「埼玉からきました。」といったら
遠いとこから一人で?とびっくりされました。


うーん
観光地と言われるところ、
例えば
京都とか広島市内とかで一人旅行者はけっこういるから
さほど驚かないのかもしれないけど


江田島の時もそうだったけど
呉とか、若い人で(しかも女で)

一人で来るってあんまりないみたいで
すごい驚かれます。。
(と、同時に心配される)

なんか
変わり者なのか?と思われたくないので

「歴史に興味があるのですが

趣味が同じ人って周りにいないので一人で来るしかないんです

ゆっくりみたいところがあると友達と行くのは難しいです。



ただ「遊び」に行くのは
友達がいないとつまらないけど
こういう場合は一人でじっくり見て、考えたいっていうのを伝えると

すごく理解してくださいます。


で、
おばさん(というか品のいい奥様)
と一緒にバスに乗ったのですが

「今海軍墓地にお参りしてきたんです。」

って言ったら

「えらいねえ。
わざわざここまでお参りにきてくださるなんて」

とおっしゃるので

「っていっても別に何してきたわけじゃなくて
ただ手合わせたくらいですけど。。」

花とか線香とかあげたわけじゃないし、、
ってことも言いました。。

「その気持ちだけでいいのよ」って言ってくださいましたが、、。

あと
ここにくる前に
江田島に見学させてもらってきたことなど
話したら

なんと

そのおばさんのお兄さんも
海軍墓地に奉られているということ、


戦争当時の様子や
呉の空襲について、などちょっとの間ですが
話をきかせてくださいました。


呉には長いこと住んでいて
いい思いでばかりではないけど離れられない


とおっしゃっていたのが印象的でした。

お礼を言って
バスを下りて
「あのおばさん若い時さぞきれいだったろうなあ。

お兄さん戦争で亡くなっちゃったのか」

など考えながらホテルにもどりました。






次の日

めちゃめちゃ晴れました。
呉を起って広島市内に行くので

その前に
呉、大和に関するスポットなどをまわりました。

興味のある方はこちらへ↓


アレイからすこじま 鎮守府 200階段など


まず
バスで向かったのが

アレイからすこじま

いったいどんな名前よ

DSC_0298.jpg



ここは
潜水艦が目の前にみえるスポットとして有名。
海上自衛隊第一潜水隊軍司令部前から300メートル沿った公園。

日曜には
護衛艦の一般公開をやってるみたいです。。


男たちの大和では
「第一上陸桟橋のシーン」のロケ地になってたとこです。

DSC_0292.jpg


DSC_0307.jpg

 (;´Д`)ハァハァ


DSC_0312.jpg


 時々
自衛官がちらちらいらっしゃったりして
胸がときめきます。


次は

旧呉海軍工厰跡

DSC_0325.jpg



アレイからすこじまよりちょっといったとこなんですが
車の往来が激しいので
おとなしくバスで向かいました。(一分ほど)
正岡子規の句碑があります。

ここで
大和が作られたそうなんですが
そう思うと
感慨深いです。

DSC_0326.jpg



「大和のふるさと」って、、
後からかいたでしょwwwww


戦時中、
大和がつくられてることは
極秘だったらしく
今でこそ親しまれてる?というか
なんか悲劇の象徴みたいな、人々の涙をさそう、、みたいな感じですが

海軍では
名前はしられていたそうですが
一体どのようなものなのか、あまり知られてなかったようです。


夜になると
この空の上が真っ赤になって
周りは憲兵などで固めて極秘にやってたそうなんですよ。


人々には戦艦大和よりは戦艦長門の方が
しれわたってたし愛されてたみたいです。

大和タソかわいそうだお、、


そして
次は


旧呉鎮守府(海上自衛隊呉地方総監部)

鎮守府とは→海軍の根拠地として艦隊の後方を統轄した機関

DSC_0335.jpg



日曜日一般公開のため

中に入らせてももらえません;;


別に中に入ってもいないのに
「今日は日曜じゃないから見学できないからねー」
っていわれたぜ、、

DSC_0338.jpg


ちょ…尻…アッー><



鎮守府は
呉、横須賀、佐世保、舞鶴、あと中国のどっかにあったみたいですが
戦争の末期になると
舞鶴と中国は閉鎖され
戦後、1945年11月に廃止されたそうです。


ここから
歩いて大和ミュージアムやくじら館の方にもどりました。


それから
呉駅にもどり

高いところから呉をみてやろう。


と、思いまして

両城の200階段にいきました。


「海猿」のロケ地にもなったみたいです。
(わたしは海猿は見てないのでよくわからないんですが)

バスで行こうと思ったら
「歩いていけるよ」とおしえてもらえました。
正直バスにお金使いたくなかったので助かった!
呉駅から15分くらい?で着きます。

DSC_0381.jpg



DSC_0382.jpg



なんか
後ろからおばあさんものぼってきた(住人の方
ので、
負けられるか!!
と思って急いで上ったら途中息切れした。


ってか


数えながらあがってみたんですけど
200以上だったんですが。。



それでも
人が住んでいる。。



呉は1889年(明治22年)の鎮守府開庁以来、
人口が増大したが、
平地部が少ない上に多くが軍用地となっていたために、
転入してきた軍人や職工は傾斜地に住居を求めるほかなかった。
この両城地区は海軍士官が多く居住していた。



だ、そうです。

頂上からの眺めは最高です

って書いてあったから
一生懸命上ったんですけど
頂上、

墓地でした


DSC_0392.jpg




のぼりはいいんですが
下りがこわいので
緩やかな下り坂があると聞いてたのでそっちから帰りました。

DSC_0400.jpg



帰りに
防空壕跡をみつけました。
元々は海軍軍需部の倉庫だったみたいです。

昨日の、海軍墓地の帰り道に
出会ったおばさんも言ってたけど
呉は海軍の工場などいっぱいあったから
米軍から特に狙われたみたいです。。




もっと呉にいたかったですが
最後に呉の町を一望して、呉に別れを告げ
広島市内に向かいました。
そして絶対にまた来る。と思いました。


(続く)










2008年03月15日 | Comments(2) | おでかけ記 ~2009
コメント
初めまして。
先日は拙いブログに遊びに来て頂いてありがとうございました<(_ _)>
第一術科の記事も懐かしく拝見させて頂きました。
あ、ここ!そうそう(¨ )(.. )(¨ )(.. )ウンウン!!
って感じで(^^)
呉にも立ち寄られたんですね、アレイからすこじまの潜水艦は通る度にうっとりしております(;^_^A アセアセ・・・
その横の日新製鋼のプラントにも(;´Д`)ハァハァしておりますが(≧∇≦)ブハハハ!
楽しい記事と写真をありがとうございました(^▽^)/
こーちゃん URL 2008年03月16日 12:21:30 編集
こーちゃんさん

こんばんはです!!
ブログに来てくださってありがとうございます!!
写真日記よんでくださってうれしいです☆

こーちゃん(さん)みたいに写真はうまくはないですが^^::
旅の記録って感じで^^

こーちゃん(さん)は広島にお住みなんですね。
うらやましい。。
今また呉、江田島にもどりたくてしかたありません!

こちらこそありがとうございました。
こ-ちゃん(さん)のブログに
またお邪魔させてください☆



ソウ URL 2008年03月17日 22:39:24 編集

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